<月刊パセオフラメンコ名作アーカイブ/2002年8月号)
【最終回】ゆるやかな変貌
文/菊地裕子
『ナナ』がNANAとしてリスタートするのと同時に始まった当連載も、ついに最終回を迎えた。この間、半年。私は月に数回の割合でNANAを訪れ、少しずつ変わり行く様子を見守ってきたが、店が以前よりはるかに賑やかになってきたのが我がことのようにうれしい。昔からの常連客が舞い戻ってきたのに加え、新しい顔触れも増えたようだ。一体、何がプラスに作用したのか。
個人的な見解だが、これはパコ山田というマスターの経歴と人柄のなせるわざに違いない。『ナナ』の後継者として白羽の矢が立ったのは、ペペ島田の差し金で、パコ自身は「寝耳に水の気分」だったらしいが、この人選は実に的確だった。
1939年、北海道で生まれたパコは、フラメンコの歌に魅せられ十代で上京した。『スペイン』という喫茶店の雇われマスターをしている頃は、入手が難しい輸入盤のフラメンコ・レコードを見つけてきては店で流し、それを目当てのマニアックなアフィシオナード(愛好家)を集めた。その後、斎京昇の「内弟子を2年ばかり」やり、新宿にできたタブラオ『ギターラ』の歌い手、司会者として30数年を過ごし、後にタブラオ『カサ・アルティスタ』に在籍、3年後にフラメンコの世界から「引退」した。
ステージのプロであり、大のアフィシオナードでもあったパコが、その歴史の中で公私にわたってかかわった国内外のアーティスト、アフィシオナードの数を考えると、私は気が遠くなる。彼らの何人かが、店に通い始めた。そして、そのうちの何人かが若いフラメンコ好きを連れてきた。まるで自分の家の応接間に案内するように。いま、NANAの客の約7割は、フラメンコ好きの人々で占められているという。
しかし、パコはそんな過去を自慢する風もなく、どんな客にもフラットだ。酔客の我がままも柳に風と受け流し、ただしフラメンコの曲だけは自分の好きなものを主にかける。かつてカセットテープのデッキしかなかった店内には、今やCDとビデオのデッキが設置され、それに併せて客がパルマやハレオで盛り上がる時もある。「いいねえ」と言う客がいれば、「いいでしょう?」と、曲やアーティストの話をさりげなく披露するパコ。フラメンコに興味がない客も、彼のフラメンコへの思いに知らず知らず巻き込まれてしまう。
「僕はフラメンコにドグマは持たないから、新旧関係ない。でも、好みとしては、やっぱり古い方が好きだね(笑)」 。
パコによって、店の雰囲気も変わった。以前と一番変わったのは、店内の明るさと開放感だ。照明が明るくなったことは連載当初に書いたが、それだけでなく、季節が移るにつれ、パコは店の扉を開け放つことが多くなった。NANAの扉はおそらく樫の木でできており、かなり重厚な感じがする。それに加え、店内が外からうかがえないことや、店の場所がゴールデン街ということなどもあいまって、一見の客が気軽に入って行けない空気がある。私なども『ナナ』の時代、店になじむまでは、扉を開ける度にドキドキしたものだ。それが今や大きく開け放たれ、外からは店内の様子が実によく見える。さらに店の外壁には、飲み物の値段を記したボードがかけられ、一見さんでもかなり入りやすくなった。
その値段がまた安い。もともと『ナナ』はチャージもお通し代も取らない明朗会計の店で格安感があったが、パコのNANAはさらに安い設定にした。一例が水割りで、ホワイトがなんと400円。パコによれば、店を引き継ぐ際、仮営業をしていた常連たちがつけた唯一の条件が「値段を高くしない」ことだったという。以前より安い400円の設定はメニューの目玉ということらしい。
これに素早く反応したのが、合理的な外国人客。最近、増えてきたという。先日、私がいた時にも、アメリカ人の若者が二人入ってきた。一人は父親がスペイン人とのことで、英語とスペイン語の両方を流暢に操る。私の傍らにスペイン語の堪能な編集者がいたこともあり、私たちはフラメンコのビデオを眺めつつ、終始スペイン語をメインに会話した。考えてみれば国籍不明の奇妙な状況だが、これもこの店で飲む面白さ。アフィシオナードとまではいかなくても、スペインやフラメンコに何となく興味がある、好感を持っているという程度の人々が、国境を越えて気軽に話ができるオープンな雰囲気がある。

しかし『ナナ』の常連だった人の中には、NANAへ行くことをためらっている人もいる。私自身、この連載をやっていなければ、あるいはそうだったかもしれないと思う。だが今までの取材を通じて、知らなかった『ナナ』の熱い時代の片鱗に触れることができた。『ナナ』と〝ナナさん" への深い思いを感じることができた。〝ナナさん"を母とも慕っていた常連たちが『ナナ』の仮営業をして〝ナナさん"との別れを惜しんだように、私は〝ナナさん"とその時代に心ゆくまでかかわることで、〝ナナさん”の『ナナ』との別れを自分に納得させたかったのかもしれない。
私自身が『ナナ』を最初に訪れたのは、8 年ほど前だった。踊りを習って2年目であるにもかかわらず、パセオの取材記事を担当し始めたところだった。当時、ライターとしてはプロでもフラメンコの知識は皆無に等しかった私は、フラメンコのすべてに好奇心丸だしで、『ナナ』に通った動機も、最初はフラメンコへの興味が主だったと思う。そこへ行けばアフィシオナードやアーティストと出会えたし、フラメンコの話が聞けた。即興でフラメンコが始まることもあった。
だが、当時の私はアーティストからもアフィシオナードからも、一線を引かれているという思いがあった。今思えば私の方に、フラメンコの記事を仕事で書いているという構えがあったのだろうが、自分では、皆がなかなか本音で話をしてくれないというもどかしさばかりを感じていた。

故・ナナさん。 (『若い女性DELUXE 75年秋号/講談社』より)
それが崩れたのは、ある事件がきっかけだった。何年前か忘れたが、東京でいくつかフラメンコの大きな公演が重なり、それぞれの公演を見た客や出演者たちが『ナナ』 におしかけ、異常に混雑したことがあった。夜が更けても、客が入れ代わり立ち代わり来るので、 "ナナさん"はついにたまらず、「もうおしま い!」と宣言。熱の冷めない10数人の客たちは、朝まで営業している高円寺のタブラオ『カサ・デ・エスペランサ』を目指して店を出た。ところが、その夜の新宿は深夜まで人が街にあふれ、タクシーもなかなかつかまらない。それぞれ、てんでんばらばらに空車を求めて歩き始めた。
南口に向かう途上だった。前方の人込みで、さっきまで一緒だったスペイン人ギタリストが酔っ払いの中年男にからまれていた。すれ 違いざまに肩がぶつかっただけらしいが、したたかに酔った男はすわった目で怒鳴りちらしていた。つかみ合いになるとまずいと思った私は、ギタリストを先に行かせ、男を「まあまあ」となだめにかかった。 すると、男が何事かを叫び、私の左手の指 に、まるで火箸が当たったみたいな熱が走っ た。男が隠し持っていたバタフライナイフで切りつけたのだ。一瞬のことで、そばにいた人にも何が起きたのか分からなかったらしいが、とっさに「殺される!」と思った私は、全速力で走って逃げた。南口付近でガードマンをつかまえ、訴えていると、巡回中の警官が寄ってきて、無線でパトカーと救急車を呼んだ。酒を飲んで走ったので傷口から血が噴き出し、辺りは凄惨な様子だったろうが、私自身はその後、男がナイフをどこかに捨ててこちらに向かって来た時点で、パニックに陥 り、よく覚えていない。
救急車が来る直前、からまれていたギタリストが私が切られたと知って逆上し、犯人に激しく食ってかかろうとして警官に取り押さえられた。そこへ、店で別れた日本人のギタリストとスペイン人の歌い手が大声で叫びながら走ってきた。パニックの私をなだめ、落ち着かせ、警官や犯人からも守ってくれたのは、彼らだった。男はつかまり、ナイフも後で発見された。救急病院に運ばれた私は、10数針縫い、朝まで、現場にいた何人かと警察署で事情聴取を受けた。
恐怖でもあり、恥ずべき体験だが、いま、私はそれを懐かしく思う。すべて私のおっちょこちょいが招いたことに違いないのに、くだんのスペイン人ギタリストは「僕のせいだ」と今にも泣きそうに何度も謝った。現場にいたアフィシオナードやアーティストが、仲間として強い態度で守ってくれた。痛い思いをしたおかげで、私のフラメンコたちへの心の垣根が、ようやくはずれたのだった。事件後、さすがに怖くて夜の新宿へは行けないと思っていたが、1週間もたたずに私は『ナナ』の扉を開け、〝ナナさん"に自分の愚かな行状を話した。彼女は一瞬顔をしかめただけで説教くさいことは何も言わず、いつもと変わりなく酒を出してくれた。それがとてもありがたかった。
以来、『ナナ』は私にとって、弱い部分を見せても大丈夫な、心を許せる大事な場所になった。あれからどれほど、泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、たくさんの人と裸で付き合える喜びを味わっただろうか。
パコを慕って初めてこの店を訪れた客が言ったそうだ。
「ここはレトロでいいね。まるでおふくろの 腹の中にいるような感じだ」
たぶんそれは内装のことを言ったのだろうが、私には『ナナ』の時代からの人々の記憶――〝ナナさん"を慕い、『ナナ』をわが家のように思って通った人々の記憶が、この店には染み付いているのだと思えてならない。
もうじき、その"ナナさん"を偲ぶ会が常連有志の主催で行われる。『ナナ』にちなんだ7月7日、小田原でのお墓参りから私も参加し、この連載の終結と共に胸にたまったもろもろの思いを報告し、失われた時代への郷愁と憧れに一つの区切りをつけてこようと思っている。
最後に、これからNANAへ行ってみようと思っている人のために、私自身が考える店の楽しみ方を一つ伝授しておきたい。
先の取材の際、"夕べちゃん"(劇作家・演出家/喰始)がこう言った。
「『ナナ』は、名前も知らない人同士が酒を飲んで自然に話せる、大人の店だった」
確かにその通りで、フラメンコのフィエスタを別にすれば、多くの常連はここへ静かに語らうためにやって来る。その美風は今のNANAでも続いている。
だから、初めての時こそ、なるべく少人数、できれば一人で行かれると良い。グループで行くと自分たちだけの世界を作ってしまいがちだが、一人なら、パコはもちろん、そこにいる誰かがきっと話しかける。フィエスタをやっていれば、仲間にどうぞと誘われるかもしれない。あなたがギターやカンテをやっているなら、ちょっとやってごらんと言われるかもしれない。その日から、あなたにはフラメンコの別の扉が開くはずである。
では、次回はNANAでお会いできることを願って! (完)

時代の移り変わりを見守る二階入口の彫刻。

