<月刊パセオフラメンコ名作アーカイブ/2002年3月号)

パケーラ・デ・ヘレス来日インタビュー

文/高場将美

 ラ・パケーラ・デ・ヘレス―――ほんとうに生きている伝説といえるアーティストだ。

 その人が、こんなに遠い日本まで来て歌っている姿を見て、その声が生で聞けたというのは、ほとんど奇跡に近い。

 スペイン人にとっても、これは信じられないことと感じられたのだろう。パケーラ日本公演の取材のため、テレビと新聞、報道陣数名がスペインからやってきた。パケーラと日本との出会いはコロンブスのアメリカ大陸発見に匹敵する?

 じつは筆者は数年前にスペインでパケーラのステージを見ている。オペラグラスで彼女の顔をアップにして、「ワッ本物がいる。ほんとに歌っているぞ」と興奮したものだ。 第一声で、この人は別世界を現出させてしまう。その前にカルロス・サウラ監督の映画『フラメンコ』の圧倒的な幕開けのシーンもあったし、より若いころのパケーラの、やっぱり圧倒的なシーンの入ったビデオも日本で発売された。近くは映画「ベンゴ」もある(近くDVDで発売されるとのこと)。

 でもやっぱり、日本でパケーラを見て、もう衝撃は受けなかったけれど、心を揺さぶられ、圧倒された。

 ステージに椅子が横向きに置いてあるので、意味不明だった。スペインでと同じように自然体で、何気なく登場してきたパケーラは、その椅子の背を右手でもって、時にはそこを支えにして歌うのだった。体の向きを変えるからマイク・スタンドを移動するときも、「このマイクは7キロもあるんだから!」と言いながらも(もちろん誇張です)、軽々と持ち上げていたように見えた。

 そのパケーラにインタビューできるという、これまた奇跡! ヨーロッパの3ヵ国でインタビューを拒否したという実績のもちぬしだ。これは後から聞いた話だが。来日前にパセオ編集部からインタビューの話があったとき、わたしは実現の可能性は30%以下だと思っていた。

時に、 右手に握る椅子を持ち上げ、揺さぶるように歌うパケーラ。 ギターは、32年という年期の入った絶妙コラボレーションをみせたパリージャ・デ・ヘレス。

 

 さて、全公演が終了した後の楽屋でインタビュー。日本人がパケーラにインタビューするのを記録にとどめているらしいスペイン人記者の休みなくメモを取っている姿が、わたしの視野に入ってくる。それでなくても、胸のところに固いものがつかえて緊張しているわたしは、完全にアガってしまった。わたしの後ろの方にいるはずの大森フォトグラファーの緊張もヒシヒシと感じて、プレッシャーに満ち満ちた15分でありました。

 パケーラさんは、ゆったりと深く椅子にかけて、なんにも緊張していない。当たり前ですね。とにかく話に入る。

―――あなたの声の大河のような豊かさ、しかも澄んでいて、はっきりとしていますね。その声を保つ、なにか秘密があるんですか?

 「ないわよ」と簡潔なお答え。

 「ふつうの暮しをしてる。たくさん眠る」とニコニコ。

―――食べ物は?

 「ぜんぶ普通。プチェリート(肉やソーセージや野菜類など実だくさんの煮込みスープ)とかガルパンソ(煮込みに入れる豆)とか、普通のものよ。ちょっとしたステーキも食べたりする。 それから魚は大好き」

―――では次の質問です。 パケーラという愛称は誰が付けたんですか?

 「わたしのおじいさん。とても小さいときに ね。それを聞いて、わたしの両親やその兄弟 も、わたしのことをパケリータ(ヘレスの発音ではパカリータとも聞こえるが、小さいパケーラという意味)と呼びはじめたんだよ。大きくなってからはパケーラ。わたしの本名はフランシスカ・メンデス・ガリードです」

 フランシスカの愛称はふつうはパキータだが、おじいさんはパケーラとしたのだ。意味はない。音の遊びのようなもの。なおメンデスは父方の姓(こちらがヒターノで、アーティスト家系だ)、ガリードは母方の姓だ。

―――あなたは子どものころ、どんな人たちを聴いていたんですか。

 「ニーニャ・デ・ロス・ペイネスのレコードを聴いていたね。残念ながら本物は聴けなかったよ。マイレーナやカラコールは生で聴いた。もっと小さいときは、ウエルバの人たちとか、それからエル・ファルーコの踊るのも見たね」

  ウエルバの人たちって誰ですか、と聞きか えすと流れが止まってしまうので、不明のままです。

 「エル・チョコラーテの別荘にも行った(から彼も聴いた)。 ヘレスのテレモートとか、ソルデーラとか(もちろん聴いた)。そのうちにプルポン(セビージャからスペイン全国にネットワークを持つフラメンコ最大のプロモーター)に契約されて(タブラオに出るようになって、いろんな人たちを聴いた)」

 カッコ内の注が多くて申し訳ない。ヘレスのヒターノ系のみなさんの話は、言わなくてもわかることは飛ばしてしまうのです。この乗りがフラメンコなのだ(?)。

―――あなたが最初に歌った場所を覚えていますか?

 「覚えてるよ。《ロス・ボティーソス》だった。それからプルポンは、わたしを......えーと、どこだっけ?」

 そばにいるマネージャーの女性(プルポン系列の会社から来ている)などが、いろいろ店の名前を挙げる。

 「違う、違う。もっとずっと前だよ。マティルデ・コラルやトリニ・エスパーニャなんか (の踊り)に歌った...。あぁそうだ、《エル・ グアヒーロ》だ。セビージャの、居たたまれ ないようなタブラオ(笑)」

 これは中身がすごくて「居たたまれない」という反語です。

 「みんな若かった。マティルデ、エル・ファルーコ、チャノ・ロバート、ギターを弾いて踊りも踊った、パリージャ・デ・ヘレスのお父さん、ピリーリ、エル・チョコラーテ。とにかくたくさん出ていて、名前をもう思い出せない」

―――あなたを最初にマドリードへ連れていったのは誰ですか?

 「プルポンだよ。プルポンが、わたしを《シルコ・プリセ》(大サーカス劇場)に出した。たしか、ペペ・ピントとペペ・マルチェーナと一緒だった」

 このふたりはすでに大スターだった人である。パケーラはそこに並んだわけだ。

―――あなたはまだ若かったですよね。

 「若かったよ。 わたしはこれをもう50年もや っているんだから」

 これは正確な数字ではないだろう。でも年令は聞かなかった。60歳をずっと超えた今でも、歌は若い。日本のステージで聴いた歌詞のひとつ。

シギリージャで共演した小松原庸子 (左)は、2000年のビエナル時からずっとこの機を待っていた。

  

インタビューの楽屋裏(東京・新国立劇場)。 右端がパリージャ。中央でこちらを向いて微笑むのがマネージャーのマイテ氏。中央で座っているのはエル・パイスの記者。左端が筆者。

 

  「ちっちゃな部屋にふたりきり 

  あなたが毒を飲むならば

  わたしも毒を飲みましょう」

  若いでしょう? アップにして顔のしわを写さないでねと、可愛い注文をつける女性である。

―――どのパロ(曲種)が好きですか? 

 「全部だよ。フラメンコは全部好き。でもあのころは、わたしが、それまでどこにもなかったブレリーアのリズムをもっていって、革命を起こしたんだよ。わたしの口から言うのは良くないことだけど。どのパロも好きだけれど、ブレリーアは、わたしたちヒターノのいちばん根にあるもの、いちばんドゥエンデのあるパロだね」

―――あの、すばらしく大きなファンダンゴは?

 「あぁー!(ものすごくデカい声)。日本では歌わなかったね。プログラムには制限があるからね。判るね?」

 判ります。時間に制限があるからですね。スペインでは、パケーラは(ほかの人も彼女の真似をしてやるが)、プログラムの最後にはマイクを外して必ずファンダンゴを歌う。

―――あなたは、旅行はあんまり好きではないですか?

 「好きではないね。 ヘレスで静かにしている のが好き。それは、ときどきはちょっとした旅行をするよ。でも、列車や飛行機に乗るのは足が重いね。こわいわけじゃないんだよ。でも旅行は好きじゃない。好きだったら、とっくの昔に日本に来ていたよ(笑)」

―――でも、ついに来ましたね。

 「ついにね! それで、日本のお客はとっても気に入ったよ。もちろんスペインとは違って、オレと言うはずのところで言わないけれど、とっても良かった。アーティストには、パルマの音と、(お客の)静けさがいちばん大事なんだよ。とても気持ちよく歌えた。そして終わった後のあの大拍手。すばらしかった。本当言うとね、(日本からもう帰ると思うと)わたしはちょっと悲しくなった。とっても気持ちよく歌えたからね」

―――どんなところで歌うのが好きですか? 

 「劇場がとても好きだね。自分が大きくなったような気がする。もちろん、わたしたちフラメンコの純粋なフィエスタでは、また別の大きなセンティーオ(感覚)が出てくるね。この位置で歌えとか、いろいろ指図されないしね。 でも、舞台はとても好き」

―――闘牛場は?

 「これもいいね。でも、なかなか大変な仕事なんだよ(笑)。昔マドリードに住んでいたころは、闘牛場(でのスター勢ぞろいの大フラメンコ・ショー)がたくさんあったね。今では、そういうのはスペインからなくなってしまった」

―――あなたは今、あんまり仕事をしていませんね。みんないつも、あなたが歌うのを待っているのに。日本のわたしたちも、たくさん たくさん待たされた。

 「でも来たじゃないか。それに、また戻ってくるよ。今すぐじゃないよ。 ヘレスに帰ってすこし休まなくちゃね。飛行機から回復する ために(笑)」

―――仕事がないとき、あなたは何をしているんですか?

 「ふつうだよ。ふつうの暮し。煮込み鍋のそばにいて(笑)。そうだ、わたしはペッカーオフリート(小魚のから揚げ)が大好きなんだ。うちのファミリーはみんな魚屋なんだよ。えーと散歩も好きだね。でも、とにかく家にいるのがいちばんいい。人ごみとか、騒がしいところは嫌なんだ。フィエスタなんかに行くときもあるけれど、あんまり人に邪魔されないで、ひとりで家にいるのが好き。とっても静かな暮しだよ」

――――歌っている姿からは想像もつきませんね。 

 「それは本当だ。歌うときわたしは変身するね。中身は落ち着いているんだよ。でも責任があるときは、外に全部出してしまうね」

―――何を歌うか、歌詞はどれとか、前もって決めてはないんですよね。

 「決めたことは一度もないね。いつも、その場で出てくるものを歌う。歌う場所によって大体の線は考えてあるけれどね」

 そばにいたギタリスト、パリージャ・デ・ヘレス(コンビを組んで翌年とのこと)の言葉。  「彼女は決して準備することはないよ。なにか特別に大事な公演があるときは『パリージャ 家においで。練習するから』 でも練習なんかしないんだ(笑)。ちょっとアイアイと言って、歌詞のふたつも歌って、『もうできた』(笑)。しばらく歌っていなかったから声を伸ばしてみるだけなんだ」

 そろそろ時間が来たかなと思ったわたしが「それではどうも」と言おうとした前にパケーラさんの大音声。

「あたし疲れたよ〜〜」

これでおしまいです。ありがとう。

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