<月刊パセオフラメンコ名作アーカイブ/1994年11月号)
文/加部 洋
パコ・デ・ルシア・セクステットの来日が間近い。またあの熱いライブが展開される。ヤクザ映画を見た男が、肩で風を切って出てくるように、とにかくパコを聴くと元気になる。それはフラメンコを知らない人でも同じらしい。何かプリミティブな、根源的なエネルギーが聴き手に伝わるからだろうか。
81年にスタートしたと思われるセクステット活動は、今年で13年。その間、メンバーひとりひとりが“パコ色“に染め上げられ、フラメンコのコンボスタイルは確立したといえる(コンボとは、小編成バンドのことで、フルバンドとの対比として使われる。コンビネーションが転じた言葉)。今回はインストゥルメンタル(器楽演奏)フラメンコの発展形であるセクステットについて考えてみたい。
●ギター以外の楽器を拒否してきたフラメンコ
フラメンコにとって最も重要な楽器は ギターである。あたりまえだ。しかしこのあたりまえすぎる事実のゆえか、ほかの音楽ジャンルと比べたフラメンコの特殊性に思いがいたらない。すでにフラメ ンコは音楽ジャンルのひとつとして世界に認められているが、その使用楽器が、パルマはあるとはいえギター単独で発達してきた事実は見逃せない。考えてみれば、クラシックはもとよりジャズ、ロック、ポップス、タンゴ、フォルクローレ、シャンソン・・・・・・これらの音楽が、複数の楽器によるアンサンブルを基本にしていることに気づく。ジャンルによってさまざまであるが、ピアノ、ギター、ベース、打楽器などのリズムセクションと、弦楽器や管楽器のストリングス、ホーンセクションとのアンサンブルである。
ところがフラメンコにおいては、歌・踊りの伴奏もギター単独であり、独奏・重奏もほとんどギターのみで発展してきた。その理由はさておき、結果としてギター以外の楽器を拒否してきたのである。そのために、あらゆる音楽的要素をギターが一手に引き受け、表現しなければならなかった。たとえば、低音部やリズムをベースや打楽器に頼ることができない。したがって特に強いビート感を要求される踊りの伴奏はもちろんのこと、歌伴奏やソロにおいても、メロディ、リズム、ハーモニー、低音部などを、パルマの助けがあるとはいえ、ひとりでやらねばならなかった。あたかもピアノのようなオールマイティーな存在でなければならなかったのである。フラメンコギターの多様なテクニック―――ラスゲアード、ゴルペ、アルサプーア、ピカード、トレモロ、アルペジオなどは、このような困難な状況があったればこそ生まれたのではないだろうか。気がついてみたら、とてつもなくテクニカルな音楽に発展してしまっていたのである。
フラメンコギターがひとりで立っていられるものであるならば、他者はいらない。パコのセクステット以前にフラメンコ・アンサンブルの成功例が少ないのは、ギターソロが完璧な表現形態であるがゆえの結果ではないだろうか。

●パコ・ルンバの変遷―コンボスタイルの芽ばえ
セクステット発足当時、レパートリーにブレリアはまだなかった。ルンバやタンゴが中心であった。いうまでもなくバンドスタイルは、メンバーにわかりやすい一定のリズムとテンポ、それにあらかじめ決められたテーマとコード進行の約束のうえに成り立っている。このスタイ ルに似たものをパコの初期作品に求めてみると、71年のアルバム『霊感』の中の「即興のルンバ」だろう。それまでのルンバのギター演奏は、メロディ、リズム、コードをひとりで引き受けたものが多かった。一定のリズムとコード進行をバックにまかせ、単旋律のアドリブをするスタイルは、「即興のルンバ」が最初ではないか。そういう意味でパコは、ルンバの新しい演奏スタイルを創造したといえる。と同時に、これが現在のコンボスタイルの端緒にもなっている。大ヒットした「二筋の川」ばかりが注目されるが、その形や考え方は「即興のルンバ」と同じであり、デビューして間もない71年に、純フラメンコ以外の分野にも多面的な可能性をもっていたパコは、やはり非凡であった。
73年発表の「二筋の川」は、パコが予期せぬ大ヒットとなった。フレンチポップスの大御所ポール・モーリアが、レパートリーに加えて録音をしていることからも、それがわかる。前作「即興のルンバ」よりさらにアドリブ性を高めた素晴らしい演奏だが、ボンゴとベースが今にして思えば、イモ臭いのが残念だ。パコはそれを意識してか、後の「広い河」からはコンガに変え、以後ボンゴを使うことはない。また、80年のアルバム『道』の「チャネラ」からはベースをカルロス ・ベナベントに変えている。
76年の名作『アルモライマ』の中の「広い河」は、そのアレンジ、編成を含めてトータルな意味で前作より優れている。ただコード進行がポピュラーの「別れの朝」にソックリなので、どうしてもポップな色合いになってしまうのだ。それゆえなのかセクステット・ライブでは、「広い河」ではなく「二筋の川」を主に演奏してきた。これはヒット曲であるという理由とは別に、ポップス性を避け、「広い河」よりもむしろモダンでハードなコード進行(Aのドリアンモードに近い)で、自由なアドリブができる「二筋の川」を選んだのではないかと思う。
●スーパー・ギター・トリオの成立
80年のヨーロッパ、アメリカ、日本などの世界ツアーで、ジャズ、ロックファンまでまき込んだスーパー・ギター・トリオは、ポピュラーギター界の一事件ともいえるものだった。"気がついたらとてつもなくテクニカルになっていたフラ メンコギター"は、他ジャンルのバカテク・ギタリストに充分対抗できた。
しかし、なぜパコは彼らと共演できたのだろうか。その接点、共通項を考えてみると、それはフラメンコのルンバにあるのではないかと思う。ルンバの基本リズムパターンをふたつ繋げれば、16ビートになる。おりしも時代は、4ビートジャズではなく、ジャズフュージョンの16ビートが主流になっていた。マクラフリンもアル・ディオラも、4ビートを得意とはしていないフュージョン系だ。重要な接点がここにあった。パコにしてみれば、「地中海の舞踏」はもちろん、「フレボ」も「スペイン」もルンバの延長線上にあるリズムと捉えていたに違いない。また後に「シルヤブ」に発展したその原型「ミーティング・オブ・ザ・スピリッツ」は和声的にはタラントであり、リズムは8分の6拍子系でパコにはお手のものであった。
●セクステットの誕生―アルバム 『道』
セクステットが正式に結成され、最初に出たアルバムが81年の『道』である。そして同年の夏、田園コロシアムのライブ・アンダー・ザ・スカイでは、チック・コリアをゲストにしたセクステットの白熱のライブが展開された。新メンバーのホルヘ・パルド(フルート・サックス)とルベン・ダンタス(パーカッション)は、スペインのフュージョングループ「ドローレス」の主力メンバー。 パコと彼らとのつき合いは、78年の『炎』でドローレスが共演した時に始まる。ベースのカルロス・ベナベントは、バルセロナの「ムシカ・ウルバーナ」で活動していた。いずれ劣らぬ実力派であり、コンボバンドは各パートを受けもつメンバーが、ソロとバッキングを充分にこなせる実力がなければ成立しない。
その試金石が、『道』の中の「チャネ ラ(ルンバ)」「ソロ・キエロ・カミナール(タンゴ)」「パレンケ」であった。「チャネラ」は管楽器抜きのシンプルな構成だが、さらに洗練されフュージョン化したルンバとして素晴らしい。「ソロ・キエロ・カミナール」は、逆にフラメ ンコ側に引き入れたアイレたっぷりの成功作だ。CDにルンバのクレジットがない「パレンケ」は、最もフュージョンらしく、アンサンブルの妙味が味わえる。そのスピード、ドライブ感や各メンバー のアドリブのうまさは、本場アメリカでも充分通用するものだろう。セクステッ トは結成当初から、相当のレベルだった。

●その後の展開
81年以後しばらくセクステットを聴くことができなかったわれわれにとって、84年のライブアルバム『ワン・サマー・ナイト』は衝撃的だった。ついにコンボスタイルのプレリアが登場したからである。結果論になるが、パコのセクステトに対するポリシーの根底に、いったんフュージョン側に巧みに屈従・妥協 (?)しておいて、それをフラメンコ側に引きずり戻す考えがあったのではないかと思う。その何よりの証拠がブレリア「アンダルシアのジプシー」だ。プレリアを単純に3拍子の曲と考えた場合、こんな3拍子の曲ができるバンドは世界中どこに もいない。つまり、フラメンコにしかできないきわめてティピカルな3拍子(または6・12拍単位)のバンド曲なのである。同じアルバムの「チキート」も、よくよく聴いてみれば、12拍を1コンパスにしたソレア・ポル・ブレリアをベースにしているのだ。
その後のフラメンコ曲としては、87年のソロアルバム『シロッコ』の中のタンギージョが、95年の新譜『ライブ・イン・アメリカ』でポリリズムを強調したバンドスタイルになっている。新しい試みは今後も続けられるに違いない。不可能と思われるソレア、シギリージャなどのバンドスタイル化が行われるか否か、興味深い。
●比類なきスタイル
80年のスーパー・ギター・トリオ来日公演でたいへん興味深いことに気がつい た。それは3人がそれぞれ弾いた無伴奏ソロのことだ。問題はパコではなく、ジョン・マクラフリンとラリー・コリエルのソロである。ふたりに共通していたのが、変則調弦であったこと(間違いなければ)。そして常に低音弦は開放のまま同じ音程が鳴っていたこと(ペダルポイント)。つまり低音弦はほとんど押さえないソロだったのだ。フラメンコでは「ダンサ・モーラ」がそれに似ている。
ジャズギタリストは本来、無伴奏ソロは苦手のはずだ。なぜなら、彼らにとって演奏とはアンサンブルのことであり、5本指ではなくピックで弾くという事情もあるが、低音部はベースにまかせてあまり弾かないからである。だからあの時のソロは、できる限り負担を軽くするために変則調弦し、低音弦を押さえなくてすむスタイルにしたのである。
低音弦を押さえないフラメンコギターは、まずない。フラメンコのギターソロがいかに難しく、テクニカルなものであるか。それは前述したように、あらゆる音楽的要素をひとりで背負ってきたフラメンコギターの宿命でもある。そのテクニックを維持するために、ギタリストは、人知れず多大な時間を費やしている。
しかし、この完全なるがゆえに他者を排除しうるフラメンコギターの性格が、コンボスタイルを構成するうえでの障害にもなる。70年代後半の南米公演だったろうか、パコは「オレのリズムを狂わすのか!」と舞台上でベーシスト(カルロス・ベナベントではない)をにらみつけたという。ベースの基本は、1度と5度を律儀に往復する。想像の域を出ないが、それがパコの低音とぶつかる。ベースなどいらない、ということになる。現在のカルロス・ベナベントのベースは、オーソドックスというよりもむしろ第2ギターのようで、中・低音を遊びまくっている。
パコ・デ・ルシア・セクステットは、“完璧なるがゆえに他者を拒否しうるフラメンコギター”を熟知し、その微妙なバランスの上に成り立っている比類のないスタイルなのである。
最後に、今回のメンバーについて少しふれよう。呼び物は、まずホアキン・グリロだろう。あの熱く若々しく、けなげで一途な踊りは、まず間違いなく会場を沸かせるに違いない。また、アルバムの成功で意気上がるホルヘ・パルドのプレイも聴きもの。新譜『ライブ・イン・アメリカ』に示された、さらにタイトなコンビネーションが展開されることだろう。

