ヒターノ
タンゴ・デ・ラ・レポンパ
タンゴ・フラメンコにはたくさんのバリエーションがある。歌い手の名前を冠したものが多いことも述べた。そうしたタンゴのうちのひとつが、地中海に面する街マラガに生まれたラ・レポンパが歌った、タンゴ・デ・ラ・レポンパだ。
ルンバ:ソン・ソン・セラ
フラメンコの世界にもカンシオン・ポル・ブレリア(ブレリア仕立ての歌謡曲)という1ジャンルが存在するなど、カンシオンの人気はとにかく高い。人気の歌謡曲は、何にでも生まれ変わる。ブレリア、タンゴ、そしてルンバ。非常にフラメンコらしくなるケースもあれば、もともとの歌謡曲のカラーをしっかり残す場合もある。今回の『ソン・ソン・セラ』は、後者の典型だ。
セビジャーナス ポル・ラ・シエラ・デ・アルメニア
フラメンコ界にも有名な兄弟姉妹はいろいろいる。たとえばウトレーラのフェルナンダとベルナルダ姉妹、ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(パストーラ)とトマス・パボンとアルトゥーロのパボン兄弟、ラモン・デ・アルヘシーラスとペペ・デ・ルシア、パコ・デ・ルシア兄弟、最近ならファルキートとファルー兄弟……。そして、前回から取り上げているパコとペペのトロンホ兄弟も、忘れてはならない。もっともフラメンコ界においては、彼らはライバルと言うより常に支え合い、高め合う存在、という印象が強い。
アルボレアス
フラメンコ版「ロミオとジュリエット」あるいは「ウエストサイドストーリー」ともいうべき映画、『バルセロナ物語(原題Los Tarantos)』。1963年公開されたこの映画には、カルメン・アマジャのほか若き日のアントニオ・ガデスやエル・チョコラーテらが出演し、主演のサラ・レサーナを盛り立てた。
ヒロインを演じたサラ・レサーナ自身も名の通った踊り手であったが、この映画の価値を後世に留めることになったのは、なんといっても、カルメン・アマジャの功績が大きいだろう。敵対する二家族の一方の家長役を演じたカルメン・アマジャが、その存在感を最大に発揮する場面は、映画が始まって30分ほどで訪れる。息子と恋仲になった敵対する家の娘を、嫁として認める場面。そこで彼女が見せるあざやかすぎる踊りと唄は、まぎれもなく映画の中の白眉となっている。