セビジャーナス ケ・ノ・テ・キエラ
ヨーロッパ大陸をはるばる越えてイベリア半島へとたどり着いたヒターノたちの旅路を彷彿させた前回のセビジャーナス、「Por la sierra de Armenia」に続いては、こちらもフラメンコのテーマとしておなじみ、禁じられた恋が登場する。ここで、confesorという、あまり耳慣れない単語が登場する。その意味は「聴罪司祭」。カトリックにおいて、懺悔を聞き届けてくれる専門の司祭だ。現世の罪を告白すれば、罪は浄められる……というもので、一見お手軽なようだが、それだけ懺悔が叶わなかったときに待ち受ける報いが峻烈だということも忘れてはなるまい。
その聴罪司祭とのやりとりで始まるこのセビジャーナスだが、結局は愛する女性を褒め讃える形で終わっているのがいかにもセビジャーナスらしくて微笑ましい。愛してならない理由は詳述されておらず、倫理、宗教、民族……などあれこれ想像を巡らせたくなるが、司祭の言葉に続いて主人公の反論が始まる。最初に「te quiera」の「te」とあるのは、目の前にいるのか、想いの中で呼びかけているのかはわからないが、主人公の愛する女性に対して。「司祭さま」に対しては2連目の最後で「usted」と敬称を使っているので、そのあたり、やや紛らわしいが間違えないよう気をつけなければならない。最初の「quiera」をきちんと同じ接続法の「viera」で受けているあたり、セビジャーナスといっても侮れない。最後はストレートに彼女の魅力をうたいあげる現在形でしめくくられる。全体は司祭の戒めを思わせるようなマイナーコードで唄われるが、ムードが重々しくなることはない。あくまでもセビジャーナスなので、テンポよく、むしろ「人の恋路を邪魔するものは……」くらいの勢いで(バチが当たりそうだが)、ノリよく唄うのがおすすめ。二重母音や母音の発音に気をつけながら歌詞を何度も音読してみれば、口も回りやすくなるだろう。