1999年8月、清里の夜。左から2番目奥が西脇さん。ホセ大西&ペペ島田の熱演を見守る。パセオフラメンコ1999年11月号より。

清里の思い出

 本倶楽部のプロデューサー、西脇美絵子さんが亡くなった。

 正式な訃報を受け取ったにもかかわらず、通夜会場への暗い道すがら「本当なんだろうか?」と一人何度も呟いてしまった。しかし、棺の中の静謐なご尊顔を拝するに至って、ついに信じざるを得なくなった。マヌエル・アグヘータは、葬式の類は一切出ない、なぜなら“それ”を認めることになるからと、友人の堀越千秋さんは書いていたが…。

 西脇さんには、わがフラメンコ人生において、大きなご恩がある。

 今から23年前、1999年8月20日から三日間にわたる清里スペイン音楽祭を取材時のこと。初日のイベントが無事終わり、会場各所での宴もたけなわとなった深夜、西脇さんが急に私の脇に現れるなり、こう耳打ちするのである。

「いま向こうですごいギター弾いてるから、アンタ編集者なら絶対聴いといたほうがいいと思うよ」

 パセオ編集部2カ月目の新人だった私は、そのまま引っ張られるようについていくと、離れの小さな集まりの中で伴奏していたのは、日本史上最高との呼び声高いフラメンコ・ギタリスト、ペペ島田だった。

 轟くような大音量と超絶テクニック、血の情念がほとばしるこのときのギターは、今もって私の中で圧倒的にナンバーワンだ。演奏機会が少ない彼の生音を間近で聴けたのは大変貴重な体験だったと、後年知ることになる。

 当時のパセオを押し入れから引っ張り出してみると、熱演を繰り広げるペペ島田&ホセ大西両名の後方に、なんと西脇さんご本人が小さく写っている!

 新米フラメンコ記者の私を、天才ぺぺ島田の真横という、これ以上ない特等席に座らせ、自らはそれを遠くから眺めていたのである。

 日本の業界のプロデュースと発展に尽くした西脇さん。私もこうして恩恵にあずかった一人でした。今はただ感謝しかありません。ご冥福を心よりお祈りいたします。

(中谷伸一)

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