<月刊パセオフラメンコ名作アーカイブ/1989年8月号)
文/高場将美
アントニオ・ガデス舞踊団と40日間、行動をともにした。 もっとも、私の仕事は技術スタッフの通訳ということで、朝の9時から夜の9時すぎまで会場にいるようなこともしばしばで、いわゆるオモシロイことはそうないのである。 アントニオと初めて近距離で話したのは(記者会見などの公式の場は別として)、東京公演の4日めが終わった夜だった。
いつものようにフラメンコ居酒屋《ナナ》にいて、そろそろ閉店だから帰ろうと思っていた途端に、 アントニオと、《エル・フラメンコ》に出演中のマノレーテと、歌い手のラファエルが、どやどやと入って来た。扉が開いた時、私は背中になんだか危険を感じて、思わずふり向いたらアントニオ・ガデスがいた。 なんにも悪いことをしていないのに、ヤバいと感じてしまった。特別な人間と凡人との格のちがいがこういう所で出てしまうのである。
アントニオの最初のひと言が利いたね。
“君、こんなところにいていいのか? 明日は《カルメン》の初日だぞ”
くやしーい! (あなたこそ、こんなに遅くまで飲んでていいんですか?)と言い返したかったが、私は弱かった。 “ハイ、知ってますよ。明日は朝9時から照明づくりです”としか言えなかった。